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東急鎌倉延長線計画図面

横浜市歴史博物館の企画展「みんなでつなげる鉄道150年 -鉄道発祥の地よこはまと沿線の移り変わり-」、後期に入って一部展示物の入れ替えがあったということで見に行ってきました。
今回東急のコーナーに新たに展示になっていたのがこちら、博物館が所蔵している「東京横浜電鉄株式会社鎌倉延長線」図面です。

東急100年史を見ると、第2節「田園都市事業の進展と鉄道事業の始まり」の「主要路線の建設と開業」中「1-2-2-3 東横線(渋谷〜桜木町)」に「(3)桜木町までの免許取得と東横線の全通」という項があり、その中に下記のような記載があります。

このため東京横浜電鉄は1926年、渋谷〜東京間の延長線を申請した。また横浜側については既免許区間でありながら工事未着手の神奈川〜高島町間に加えて、高島町から桜木町伊勢佐木町、上大岡、建長寺などを経て鎌倉町に至る鎌倉延長線の敷設免許を申請した。

今回の展示はまさにこの計画のために描かれた図面というわけです。

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詳しい内容は上記の東急100年史をご覧いただければと思いますが、これは湘南電気鉄道と京浜電気鉄道(後に合併して京浜急行電鉄)の横浜中心市街(当時は関内周辺)乗り入れ計画に対抗するものだったとのことです。結局東急が免許を認められたのは桜木町まで、一方湘南電鉄も桜木町までの免許は認められたものの、その先の高島町までは認められなかったため、結局京浜電鉄との連絡は戸部からトンネルを経由して日ノ出町で接続する現在のルートになったとのことです。

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ちなみに50年史にはここまでは書かれておらず、これは100年史で新たに追加された内容です。京急の公式ページには書かれていない内容が東急側に書かれているというのはちょっと面白いですね。

免許交付済みの高島町から桜木町までは実際にあった東横線と同じで、そこから「伊勢佐木町」、「黄金町」と続きます。次の「南太田町」は現在の京急南太田駅より横浜寄りのようです。その次の駅ははっきり読めないのですが、横浜商業学校(現:横浜市立商業高校)のやや西側というところで「商業学校前」ではないかと思いますが確証はありません。その後も塗りつぶしが強くて読めないのですが位置関係から「井土谷町」ではないかと推測します。このあたり何か別資料が見つかれば更新いたします。そしてその次は「弘明寺」です。

弘明寺の次は「上大岡」です。黄金町からここまではほぼ後の京浜急行と同じルートで来ましたが、南東に向かって進む京急とは違い、計画線は現在の県道21号(鎌倉街道)に沿って南西に向かいます。「日野」そして「鍛冶ヶ谷」となります。

そして次は「相模岩瀬」「山ノ内」ときてここからは横須賀線と平行し「円覚寺前」「建長寺」、そして終点「新鎌倉」に至ります。計画が出たものの免許取得にも至らず消えた路線ですので痕跡などはないものと思われますが、もし何かあれば見に行ってみたいですね。

www.rekihaku.city.yokohama.jp

なお、企画展の会期は9月25日までとなっています。ご興味のある方は港北ニュータウンはセンター北までどうぞ。