この3月のダイヤ改正に合わせてDD51形ディーゼル機関車の定期運用が終わったというニュースを見て、10年前の春のことを思い出しました。東日本大震災で東北本線が不通となっていたため、横浜から新潟経由で郡山まで走った石油輸送列車のことです。ちなみにこの話は絵本にもなっています。
撮影に行ったのは4月初めの土曜、上越新幹線で新潟、そして磐越西線で撮影地に向かいます。郡山行きの時間には間に合わないので県境の新潟側、阿賀野川沿いで空車で根岸に戻る姿を撮影し、この日は会津若松に投宿しました。
元々観光シーズンには早い時期ではあるのですが、この時に入った居酒屋には私以外には支援でやってきた他県の公務員2人組しか客はいませんでした。単なる趣味で来ていることに少し後ろめたさを感じつつ福島の酒をいただきました。
翌日は雪の棒掛山を背景にカーブを走る日出谷の撮影地です。さすがに有名撮影地だけあってたくさんのファンが集まっていました。中には避難所から来たという人もいて、趣味の力はすごいと感じたものです。
列車が通過すると、電化区間でも撮影しようとほとんどの人は車で追いかけてゆきました。歩きの私は追いかけるのは無理なので、戻ってくる列車を野沢でゆっくり撮影です。DD51の重連にタンク車が画面にちょうど収まりました。
振り返って去ってゆく姿も1枚。あの頃の東北を支えた列車を見送り帰路に着きました。
ちなみに震災のころの東北の鉄道の状況については、東北運輸局がまとめた資料が下記にありますのでご参考まで。